獅子三態ですね。ありがとうございます。
服部時計店が和光にーーと聞いているだけで、セイコーとの関係は全く分りません。すみません。
そうですか、夏井先生が種田山頭火賞を。知りませんでした。三寸は自分では自由律はやりませんが、決して軽視はしていません。山頭火の句集が何冊出ているか存じませんが、三寸の書架には、「自画像」「あの山越えて」の二冊並んでいるのを私は見ています。大山澄太という人による山頭火の評伝も。
山頭火を発掘し、世に出したのは大山澄太で、三寸の私淑したT先生と同じ役所にいて、互いに親しかった(位には天と地の差があっても)ことも、彼の自由律・山頭火観に影響したかもしれません。
T先生追悼号の編集に、三寸は死に物狂いでしたが、大山澄太さんにも寄稿してもらいました。その一節に「あの終戦動乱の時、Tさんは単身ソ連軍司令部に赴き、『自分がこの国の・・・の全責任者である。他の何処にも責任者はいない』と名乗って出られたのであった。関東軍の将校たちはいち早く内地へ逃げ去ったのに」「かくてのち抑留の使者が来ると、どこかへ出張でもするかのように淡々とした様子でシベリアへ行かれた」とあります。これらがT先生崇拝の三寸を喜ばせたことは勿論です。その後、大山さんと文通を続けていたようです。
「ルール」などないから自由律なので、好きなように言葉を並べればいいのではないでしょうか。この件は三寸が知ると昂奮するので、御内聞にお願いします。
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