<98年03月12日> 環境に感謝 (術後1年8カ月目)

 昨日、33歳の喉頭摘出者から電子メールをいただいた。その方は、4年前に舌ガンにかかり喉頭を摘出し、舌の一部も切り取ったそうです。
咀嚼機能が失われたために流動物しか食べられない状態であり、食道発声の訓練をしている人がうらやましいと書いてあった。
私は、訓練がつらいとも思わなかったけれど、同時に訓練が出来るありがたさも感じてはいなかった。
このメールをきっかけに訓練が出来るありがたさに感謝をしなくてはいけないと思った。
また訓練が出来ることが幸せであると思い、毎日の訓練にさらに磨きをかけようと思った。

 ここ1週間前から食道の空気の通りが良くなった。1年前は、仮声門の収縮がかなり激しいため空気の取り入れが出来なくなりよく声を出すの発声の途中で休んだ。
現在はその様なことは全くなくなった。さらに、仮声門の収縮が人より激しいため、声の明瞭度はすこぶるいいと思う。

 食道の奥の方から「ぶるぶる」と空気の出る音がして、それが発声音に変わっていくのが感じ取れる。
この「ぶるぶる」は常にあるわけでなく、食道内の空気がたまったときに出る。とても気持ちがいいものである。
丁度、ホースが途中で泥でつまり、それを出すために大量の空気を一気に流す時のようなものである。
従って、その現象が起きた後は、発声音は安定して良く聞き取れるみたいである。また一つ悩みが解決しそうである。

 最近の朗読に要する時間は半年前とほぼおなじである。それは、短時間で読むことより、明瞭度と間の取り方を意識して優先しているからだ。
会話をするときの声の伸びが出てきたことが分かる。

 歌を歌っているとき、語尾の「の」が鼻から出せるようになった。これが無意識に出るようになるといいのだが・・・
 発声練習を始めた当時と同じで、訓練するのが楽しい。これは訓練すればするほど上達がしていることが自分でわかる。

    現在の新たに出てきている悩みは、
  1. すぐ、返事が出来ない。
  2. 声の調子の悪いときに「おはようございます」が他人に分かる言えない。
  3. 職場での電話は取れるようになったが、会議での発言は控えてしまう。
  4. 他人との接触時に自分が喉摘者であるということで、少し甘えがある。
  5. 3分以上連続で一人で話をすると途中で止ってしまう。
  6. 話をするとき、ときどき無声音がでる。
  7. 注目していない相手に対して私の意志を通じさせることができない。
  8. 交通の激しいところで話しが出来ない。

<98年03月14日> 相手の様子

 食道発声で声を出すときに相手の聴く態度にはいろいろな種類があります。
今までつきあっていた人のコミュニュケーションのやりかたがいろいろとあることに気がつきました。
その分析を私なりにまとめてみました。詳しくはココに書いてあります。



<98年03月21日> 自信を持つ

 知らない人と話をするときはまだ少し躊躇する。
でも、顔見知りの人と話をするときは、普通に話せる。(自分は言葉が不自由だということを考えないで)

 また、私の意志が完全に伝えられる自信がついた。大切な場面(病院、警察署等)では、紙に書いて正確に伝えていたのが最近はそれすらもなくなり、紙に書くと言うことは全くなくなった。
どんな状況でも自分の言葉で意志が伝えられる。
言葉というのは便利なものである。

 小さい頃に知らないうちに言葉を知ったため、言葉を覚える楽しさ、わくわくする感動、相手に伝わったときのうれしさ、さらに耳を傾ける素直さなどは声を失ってみて分かったことである。
声を失ったときは、それを取り戻そうとして、1語1語オーム返しで音を出していました。ちょうど赤ちゃんが母親の言葉を覚えるようにです。

 現在は上達しているかいないか分かりません。上達の進歩が鈍くなってきています。
最初の頃は1日1日が上達したのが分かりました。ちょうど今が苦しい時期かも知れません。
またそこそこ話せるので訓練をやめてしまう状況下も知れません。これを乗り越えるつもりです。
上達がしているのかどうか分からなくともとにかく計画通り毎日を稽古で励みます、いまは1日に2時間みっちりと稽古をしてます。
そのうち食道発声で「寝言」がいえるようになるまで頑張ります。



<98年03月26日> 悔しい

 勤め先の上司が退職するのでその挨拶に行った。いつも、ご迷惑をおかけしてお世話になりっぱなしの方である。
今日までのことのお礼を言おうとしたのだが、声は出るのだが、言葉に繋がりがなく、最初の言葉しかでない。
上司は私が何を言っているのか気を利かして分かったふりをしているのがよく分かる。
私もこんなことは初めてである。自分の意志が伝わらないのは全くもって残念であり、悔しかった。
どうしてか後で冷静になって考えてみた。

第一に思っていることを一気に話そうとしたことである。
第二に最初が上手に音が出なかったためにあせった。
第三に肩に力が入ったことである。
これは、発声練習の中でいつの気を付けていることであったがだめだった。このような経験を積んで上手になっていくのだと自分でいいいように解決した。それにしても、残念。次にこのような機会があるときはこのことを教訓にして話をするつもりです。

 今日は喉頭を摘出して1年9カ月目ですので朗読をやった。その声はここ(830KB)にあります。また明日から猛練習だ。それにしても悔しかった。