極めろ!食道発声の道
 「娘の言葉が励みに」
(旭川市 K.O さん《「北の鈴」第10号より》)
 平成3年5月の末である、声が掠れて出ないのであった。
今考えると、この2年程前から少し声が掠れていたことはあったが、全々出なくなったのは、この時が初めてだった。

最初は、疲労と風邪気昧だろうと思っていた。
だが、今回の声が出ないのは、普通ではたい?と思うように考え始めたのです。そのうち治るだろうと思いながら家庭医学の本を引っぱり出して見たのです。
「ポリープ」腫瘍からなる場合がある、とのことであった。
私は、この年になるまで病気は風邪と痔ぐらいしか知っていないと言っても過言でない人間なのである。

50歳過ぎまで健康そのものだった私ですが、この喉頭腫蕩もまったく気にもしなかった程である。

 交通事業であるバス会社に入社して30年になりますが、その間、何人かの人が成人病、癌等で亡くなったり、復職できず退職して行った人の姿を見て気の毒に思って参りました。
私も定年退職を迎えるまでは健康でありたいものと常日頃から思ってきたが、これも運命なのでしょう。
これまでも、業務に大きな影響のない程度の障害を持った人が復職しておりますが、喉頚摘出者は、私が初めてなのであります。

 この問題は、私、個人の問題だけで過すわけにはいかないと思ったのも事実です。
この先、第二第三の喉摘者や、重度の障害者が生じた場合の今後の大きな問題なのでありますから、自分なりに努力して来たっもりである。

 63人以上の従業員の企業では、障害者雇用促進法という法律がありますが、当所、会社側はかなり厳しい態度できたところであります。
これが普通一般企業の体質ではないかと思います。
使い捨てライター同様に、消耗品扱いは御免と言いたいのであるが、障害者雇用促進の実態は現代社会に逆行しているのが現状ではないかと思います。

 私が首尾良く復職できた影には、主治医は勿論のこと、北鈴会、労組、家族の支援、そして自分自身の努力ではないかと思う。
限られた期間内に会社復帰ということで、悩み、苦しみ、そして耐えたという感じの半年でありました。

 手術をする時点で、もう会社復帰は無理と思っていたし、また術後の言棄に心配と不安が募り、手術する事にかなり抵抗を感じていたのも事実である。
手術前に主治医から「言葉が言えるようになるまでには、2〜3年かかる人もいる。」と聞かされ、その内一度、発声教室に行くように言われて見学に行きました。
そこには、指導員、会員の皆さんが喉嫡者とは思えない程、上手な話し方をしているではありませんか。
私は、それを見てから、手術を受ける気持がやわらいだのです。

 1月28日手術、2月26日退院、3月1日に初めて発声教室に参加し、熱心な指導員の指導を受けました。
帰宅後、早速一時間程度練習したところ「ア」が言えたのである。
その時、これが本当の「ア」の言葉なのかと思い、次の日から正昧5時間の練習時間を組み、午前中2時間、午後2時間、寝る前1時間と、これが私に課せられた仕事と心に言いきかせ練習に励んだ。
声量がないのは事実だったが、片言が言えたのである。

 勤めから帰宅した妻が、自分のことのように喜こんでくれたことを思い出す。
しかし、娘だけは「まだ全々だめでしょう。!」とか「言葉になっていない。」とか、厳しく批判するのである。
2回目の教室に行くのが楽しみで、待ち遠しいくらいであった。
この時から会社復帰も夢ではないかも知れないと思うようにたったのである。

 6月11日から復職したわけですが、5ケ月間に5・6回悩みこんだことがある。
自分では、大きな声で話しているっもりでいるが相手に伝わらないのである。〔客に対して、満足な対応も出来ないのが情けなかったのである。〕
復職するまでと思いながら頑張ってきたのに、恥しい話であるが、この先勤めて行けないのではたいかという不安が募ってきたのであり、この時から、仕事上の苦悩が始まったのです。

 登校拒否ならぬ出勤拒否なのである。
しかたなしに家を出て、妻に「お父さん、気を付けてね。」また「いってらっしゃい。」と言われると辛い気持ちで会社に向うのですが、この繰り返しが周期的にやって来 るのである。

 勤めから帰宅し、落ち込んでいると妻は言う。
「お父さん、男でしょう。家族の為、可愛いい娘のためにも頑張って。!」と言うのである。
また「主治医の先生が、知ったら残念に思うよ。」とか「男として先生に対して、恥しいじゃないの。」とか言い、何とか頑張ってもらいたいという妻の気持が、良く伝わってくるのですが・・・・

 妻から「主治医の先生が・・・」の言葉が出ると一時的には、我にかえるのです。
この言棄を3・4回聞いたような気がする。その後、完全とは申しませんが、立直って現在がある訳けですが、今は、もう少し声量を付けたいと思っております。
また、話し掛けられたら出来るだけ早く返答をと思いますが、これは今後の課題です。

 復職して間もなく1年になろうとしておりますが、話し方、身体のことなど、要領も少しずっよくなり勤務も健常者と同等でありますが、接客には細心の注意と苦労をしているのが現状です。
今年、高校入学したぱかりの娘がいるから頑張らなくちゃーね。!!

 術後の3ケ月、自宅で発声練習をしていると、娘が言うには、「私も頑張るから、お父さんも頑張って。」、「私は大学まで行くからね。!」と言うのである。
この娘の言葉が、何時も脳裏に焼什いて離れないのである。
私としても、この先、はたして復職できるかどうかの気持もあったので復雑な心境であったが、励みになった。

 多趣昧な私ですが、2年振りのスキーを今シーズン10回程行きましたが、11年前取得した一級で、家族、友達、子供達の指導者であったが、今は三級の費格もないのではと思う。喉摘者となった現在です。
前向きな気持と行動で頑張って行こうと思うのですが、消極的になってしまうのが現状のようです。

 これから手術を受けられる方、また発声に悩んでいる方、決して諦めず、練習に励んで下さい。発声は、練習と努力しかないからです。
そして、今年の北鈴会の声の祭典に参加しようじゃありませんか。

 最後になりましたが、市立旭川病院、耳鼻咽喉科の主治医の先生を中心としたスタッフの先生方には、発病から今日までの献身的な治療を受け、また社会復帰に至るまで、一層のご尽力を頂きましたことは、本人は勿論,家族一同敬意と感謝の気持でいっぱいです。、

 この「北の鈴」を通じて、心から厚くお礼を申し上げる次第です。

本当に有難う御座居ました。