「明日に向かって」は、北海道身体障害者福祉協会主催の平成10 年度「障害者の日」記念体験発表会の発表内容です。

明日に向かって
(H.Tさん;北鈴会釧路支部)


 私が病気になったのは、平成6年3月でした。
丁度第二の職場に勤めて9年目で声が掠れ、これは変だと思い病院に行くと即入院と なりました。

 幾日か検査が続き腫瘍があることが判り、家族と共に先生に呼ばれ告げられた言葉は「ガンです。」の一言でした。
自分自身ある程度予感はしていましたが、さすがにこの時ばかりは愕然として、家 族の帰った病室で一晩泣き明かしました。
私はその時まで「喉頭ガン」という病気をすら知らなかったのです。

「声がでなくなる。」ということは、これからすべて筆談に頼らなくてはならず、家族、友人、職場の人たちとも笑って話すことができなくなる・・・本当に悩みました。

 幾日かして家族と先生に呼ばれ、手術をするか放射線をかけるか決断をしなくてはならなくなりました。
先生のお話では「放射線をかけると声は残る。ただし、再発しないことを保障はできない。

しかし、今の時点で手術をすれば98パーセントは大丈夫。」とのことでした。
それで明日まで時間を頂き家族と相談の上、「後はお父さんの決断一つ、自分の良い方で返事をして下さい。」ということになり、「声が出なくても長生きが出来、孫たちの顔を見ながら毎日が過ごせるなら。」と決断して3月31日に手術を受けました。

 お陰様で術後の経過も良く、退院4日前だと思います。婦長さんから「病院の地下休憩室で喉頭摘出者の集まりがあり、北鈴会釧路支部長さんも来るので行って見ましょう。」と誘われて行って見ました。

そこでは声帯の無い人たちが電気発声器を上手に使ってお話をしていましたが、支部長さんは電気を使わず、食道発声で上手にお話をして下さいました。
「あなたもやって見たら。」と誘われすぐに北鈴会に入会手続きをしたのです。

 退院後、支部長の勧めで仙台立声会の宿泊訓練に2回行き、その後は北鈴会の宿泊訓練に行くようにしました。
たしか、北鈴会宿泊訓練の2回目か3回目だったと思います。それまで出ていた「ア・ア」と「1〜10」が突然出なくなり、途中挫折しかけたこともありました。

しかしながら、「これでは駄目、何が何でも食道発声を修得し、完全な社会復帰をしなくては。」一生懸命に指導して下さっている指導員の方々に申し訳ないと肝に銘じたのです。それからは毎日毎日、朝5時といったら家を出て、3キロ程の釧路川河畔での発声訓練を日課として訓練を重ねました。

 私たち喉頭摘出者の食道発声は、声が出て会話が出来るようになっても訓練をしなければ、また、元の食道に戻ってしまうそうです。
この朝の訓練は今でも続いています。今では家族、職場の友人との日常会話にはお陰様で不便を感じなくなりました。

これも自分の努力もありますが、皆北鈴会の指導員の方々のお陰であり、家族、友人、そして、手術後半年で職場復帰を認めてくれた会社の皆さんに感謝しています。

 私は現在、北鈴会発声教室で発声訓練のお手伝いをさせて頂いています。
ただ、釧路の場合、地域が広くて喉頭摘出手術を受けて北鈴会に入会しても、なかなか訓練に来てくれない方が多いことです。

これは高齢のためか、交通の不便の関係かも知れませんが、1人でも多くの喉頭摘出の方々が、食道発声や電気発声で毎日を楽しく会話することが出来るようになり、明日に向かって今日を大切に生きて行って貰いたいと念願しています。

 私も、元気でいる限りボランテイア活動を続けて行きたいと思います。
私たち同じ身体障害者は障害者同志、明日に向かって手を取り合って頑張って行きましょう。