極めろ!食道発声の道
「私の立場より」
《「北の鈴」創刊号(昭和59年)より清輪寺隠居 Z・K さん》
 人それぞれに天職があり、私達同病者の咽喉手術の宣止を受けた時のショックは、切実な名状し難いものがあった事は言う迄もありません。

併し、特に私の如く、声を出す「僧侶」という立場にある者にとって声が出なくなるという事は、実に致命的衝激であるばかりではなく、寺を去らねばなりません。
 寺は住職個人のものではなく、檀家のもの護持会のものです。住職としての務めが出来るうちは寺に住んでいても、任務が果せなくなった場合は住むことを許されません。職場を失うばかりではなく、住所さえなくなる連命に直面されました。
会社や役所であれば、何十年勤めたからには退職金だ恩給だと支給されるでしようが、貧乏寺には其の力もなく制度もありません。

 それは今から八年前でした。私が手術をしたのは!最初はコバルトでやいたのですが18回位で食欲がなくなり、体が弱るばかりなので手術と決定、3月に入院して5月18日に、いよいよ手術となり家族へも連絡、「この日が自分の命日」と覚悟して手術台で運ばればした。
その時は皆に合掌し、別れを告げる気持でした。

 ところが、気付いた時には鼻からロから縛り付けられたように管が通され身動きも出来ず、痛みと苦しさが次第に感じられ「ヤア命が助かったのか?」と思った。
これは同病者の等しく体験した苦痛で咽喉に穴をあけられ、他の人より一っ多い穴の所有者となったわけです。

 「我が人生これまで。」と思って手術台に上がった自分であるが、幸に一命をとりとめる事が出来たももの、今後如何にあるベきかが大きな問題である。「声なき廃人」の悩みは深刻です。

 だが私は息子が大学を卒業した時点で、「他の仕事をしてもいいから本山にだけ一年行って修行をして来るように。」息子もその約束を守り、瑞世までして寺の住職になれる資格を保持していたので、病魔のために一頓座を来した私の悩み、寺の窮状を察し、直ちに職を捨てて寺に戻ってくれたので、檀家も安心し喜んでくれました。

 其後私も退院し、住名を譲り、隠居の身となり、扶養家族として寺を去ることもなく、余生を「山作務三昧」に植林を楽しみ、日々好日の日を過させて頂いております。
 『相続や大難』『唯能く相続するを主中の主と名づく』と経典の中に示されています。

人生何時如何なる思はぬ不幸災難に逢わんとも限りません。自己の相続者の育成を平時より、健康時より考えておくことが肝要なことではなかろうか。

  〔付記 ZKさんは、明治41年生れ、満91歳でご健在です。〕