北鈴会の皆様へ (看護婦さんの手記)
 「北の鈴に寄せて」
《札幌医科大学耳鼻咽喉科  Y・Kさん》(「北の鈴」第9号より)
今年のカレンダーも、最後の一枚となり、壁に頼りなげにゆれています。
いっもいつも何かに追われるように過ごししているうちに、あっという間に一年がたってしまいます。

 この一年、私どもの病棟でも、北鈴会の方々の暖かい援助が数多くありました。ベットサイドへの訪問、発声教室の見学など、本当に快よく引き受けて下さり、感謝で一杯です。ありがとうございました。

 今、また、これ迄の「北の鈴」のページをめくりながら、ペンをとっています。それぞれの方々の努力、工夫がなんと多いことか、会員一人一人のつながりにどれ程貢献されていることかと。
表紙もステキな「北の鈴」に対し愛着を覚えます。日頃の活動の中で、このように形として残し、それを存続させて行くことの素晴らしさを、もう少しで10号に手が届かんとする今、再度、感じているところです。

 私どもの仕事も、毎日毎日業務をこなして行くだけでは、なかなか満足感も得られず、進歩も望めません。
日頃のケアの中で気になる点、見過している部分など、追求していく姿勢が求められます。
そして、それらの事例をきちんとした形として残して行くことが、どんなに大切てあ るのか「看護」という、まだまだ学問として確立されていない分野においてはなおさら感じます。

 これらは、当然、日常の勤務の中だけではできないことであり、勤務終了後、デスカッションが行なわれることになります。例えば、扁桃の手術をしたあとの洗髪は、現代社会の清潔に対するニードからも従来の一週間後というのは、本当に妥当なのだろうか。

日頃の業務の中からこんな疑問がでてきます。何も考えずに決められているから、それを行なうのと、これに疑問符を投げかけながら、それを解決していこうとするのかでは、「看護」に対する姿勢が大きく違います。

 このように、この一年、看護室の中でも小グループに分かれ、それぞれのテーマで研究に取りくんできました。まだまだ模索している段階ですが、一人一人の患者さんを見つめ、より質の高いケァを提供して行くことの責任が、「看護」と言うニ字にはあると思うのです。

 手術に対する不安、コミニケーションがとれない不安…、様々な問題が山積みされています。少しづつでも、糸をほぐしていけたらと、日夜奮戦中です。

 声を失ない退院後の生活は、どんなに不自由でしょう。また、「第ニの声」を獲得するまでの努力は並大抵ではないと思います。これらの思いを受けとめ、入院中の患者さんだけとの係わりではなく、退院後にも目を向けたケァが必要ではないかと、実感しているこの頃です。

 北鈴会の皆様には、今後とも、様々なことでお世話になると思います。
そのみなさんの貴重な体験を、私どもは看護に活かして行くベく、努カして行きたいと考えています。
 どうぞ、これからも、よろしくお顧い致します。