「再発・そして死を見つめて」/ (鎌倉市;さとうさん)

私には、かつて一つの望みがありました。
それは、くるべき定年退職の日にそれなりの健康な身体を保っておくということでした。 定年後の自由な時間の多くを健康な身体で楽しみたいと思っていたのです。
それは一見うまくいっているように思えました。
2年前までの健康診断の評価はいつも ニコニコマーク付きのSAかSだったからです。

 しかし、人生はそれからの2年間という短い間に二転三転いたします。
一昨年の6月5日の手術により声帯をはじめとする下咽頭、食道、リンパ節の数々、甲状腺、副甲状腺などを失い、 当然声を出す機能も失いました。

 夏の間に順調に回復し見事退院、9月からは第2の声を取り戻すべく神奈川銀鈴会に入会 しました。
この会は食道を使って新しく声を出す訓練をしてくれるボランティア団体であり、 9月から12月を初級、1月から3月を中級、4月には上級に進級することができました。
これは、ひとえに銀鈴会指導員の皆様の熱心なご指導こよるものであり、また仲間たちの励まし によるものであり,まことに感謝にたえません。
新しいチャレンジとそれなりの成果はとても大きな喜びでありました。
そして、術後1年を迎える頃には体力もかなり回復し、食事の量も増え、生活は健常者のものへ近づいたように思います。

それから半年の出来事を筒条書ふうにすると、姪の結婚式に出ることができました。
長女からは突然、「結婚したい、相手も決まっている」と開かされます。
ここに出席している**君です。8月中旬にはモンゴ・トウランバートルで婚姻し、これには飛行機のチケットやビザの関係で行くことができませんでした。
二人はこのあと韓国で住む予定でしたが、様々の事情により、長女のみが韓国と日本を往復、 晩秋にはソウルで出産をし、我々家族は暮れに先方の両親、**の兄弟、そして孫の顔を 見るためにソウルへ参りました。
その間、長野の長姉の所にいた父が亡くなり、葬儀があり、地元での納骨を済ませ、無事に先に見送ることができました。
夏の間に兵庫の**さんをお訪ねでき、ついでに京都の香りをかいでくることができました。
1月には旧来の親友たらと語らい深夜まで痛飲Lたこともありました。こんなわけであわただしく、 しかし充実した日々を重ね、駆け抜けて行きました。

しかし、暗転する日がやってきました。
今年になっての検査のための入院が4月6日、再発の宣告が4月22日、ここまで1年半かけて登りつめてきた体調の回復をわずか2ヶ月くらいで一気にかけおりてしまいました。

それでも私は自分の人生が失敗だったとも、くいの残るものだったとも思っておりません。
特に最後の2年間のすばらしさはどうでしょう。支えてくれたのは身の回りの方々であり、自分一人の人生でなく、皆様と共にあった人生だったのです。

それは家族においては健康で思いやりのある妻に恵まれ、一見頼りなげではありますが、 家族思いの3人の子供に恵まれました。
晩年には孫の顔も見ることができました。親族の皆様もやさしく、単なる親戚つきあいでなく、様々な行事をこなしながら楽しみ事も忘れず,味わいのある交際を重ねることができました。
私の人生をさらに豊かなものにしてくださったのは、多くの友人たちの存在でした。
友人と呼ぶには失礼な年上の方もいらっしゃいますが・・・ そのお付き合いの長い人は40年を超える方もあり、楽しいとき、苦しいとき、悲しい時を 共に過ごしていただきました。

2年前の手術の時、かりに手遅れで死んでした場合はこの短い人生をうらめしく思い。 無念に耐えながら逝ったかも知れません。
しかし、この2年間を与えられたことで、人生の幸せを得たように思います。
そんなわけで皆さん、今日は私のために悲しんでも、明日からは、もう悲しむのではなく、明るく思い出して頂きたいのです。

本当に皆様、今日までのご厚情ありがとうございました。
どうか、今後とも残ります家族を同様の暖かい目で見守って頂きますように切にお願い申し上げます、
まことに至らない感謝の辞ではありますが、以上残された日々がいかほどなるものかわからぬ日に 記させていただきました。

みなさん みなさん さようなら   2004年5月**日




-------------------------------------------------------------
この後、数日後に亡くなりました。(合掌)
題名はここのHPの管理者がつけました。


佐藤さんが喉頭摘出者のスピーチコンテストに参加されて
優秀な成績を収めました。
そのときの原稿です
2003 年 5 月 26 日
第 3O 回横浜銀鈴会定例総会、スピーチコンテスト原稿

. 皆さんこんにちは、わたくしは、佐藤裕ーと言います。昨年 6 月 5 日に手術を受けましたの で、後 10 日程で丁度 1 年が経過する事になります。もう 1 年が経つのかと、夢のような気持 です。この一年様々な事は有りましたが、再発も転移もみられず、無事に一年を経過したのだ、 と今は安堵の気持でいます。術後の治療を終え、退院した頃は、満足に食事もとれずにおりま したが、今で、は一人前に晩酌まで、する毎日です。横浜銀鈴会にお世話になったのは、昨年 9 月 の 2 学期始めからですロ夏の暑い盛りは、まだ食道発声の何であるか全くしらず、毎日文字板 を持って歩き、筆談しか出来ないため相手にじれったい思いをさせていたと思います。自分は 病人なのだ、身障者なのだ、相手は私に気を使って当然なのだ、と思っていたかもしれません。 ところが、こちらにきて , お世話になるようになり、皆さんが本当に苦労されながら、練習に励 んでいられる姿を見、仲間に入れていただくうちに、考えが変わってきました。私には、少し でも、相手がわかり易いように表現する義務がある、つまり、発音、発声が不自由なら他の手 段を総動員してでも、相手に理解して貰う、文字板に頼らずに、なんとか、聞きとりやすい表 現で、解ってもらう事が大事なのだ、と、思うようになりました。まだいつもいつも自由に発声 できるわけでもないので、特に食事の問、直後は芦が殆んど出ませんので、機械 EL もいつも 持ち歩いていますが、相手から機械よりも地声の方がわかり易い、といわれることもあり、てもうれしくなります。銀鈴会では、諾先生方にたくさんの技術を教えて頂きましたが、もっ と大事なこと、他人に面倒をかけないように自分を表現すること、コミュニケーションの大切 さ、を教えていただいた様におもいます。識に感謝に耐えません。まだまだ未熟な者ですから、 いよいよ励んで、皆様に負けないようがんばって行きたい、と思っております。有難うござい ました。