よみがえった声
(M.Kさん:300人の聴衆の前で、北鈴会15号より)


 平成二年、五十五才にして喉頭癌になり、喉を切り、声帯を含め喉頭をすべて摘出したのです。その瞬間、一言の声も出なくなったのです。

手術前の私の声は、人一倍大きく響きわたる声で家族にうるさがられる始末でした。その声を二度と、再び出すことが出来なくなったのです。

「私の人生もこれまでか・…」とガックリとカが抜けました。仕事は?職場?・家族?と思うと、目の前が真っ暗聞になり、全てが絶望的になり残念さと、悔しさで涙が出ました。

 幾日か過ぎ、手術の経過も良くなってきたある日、北鈴会「喉頭摘出者団体」会長が訪れ、食道発声法による「第ニの声」で社会復帰が可能であると身をもっての説明です。素晴らしい食道発声振りでした。

私は、ただただ驚くばかりでした。
会長から「第二の声」である食道発声を初めて聴き、暗いトンネルの中に小さい明かりを見いだしたのです。

私も可能性に挑戦し、「第二の声」を習得し、家族のためにも一日でも早く社会復帰をと、心を新たにし、ベットの上で手を握り締めたのです。

 退院後、すぐ北鈴会を尋ね、発声の指導を受けました。「発声教室」は、他の障害者に類を見ない同病者による同病者のための「第二の声」を習得する教室です。

「口を大きく開けて。”あ”と言って。」何度も何度も、暖かい指導と励ましを受け、「あ」「あ」と開けるが、私の口からは、ウンもスンも一言もでず……。でも、必死に繰り返しました。
その日二時間の訓練も終わりに近づく頃、私の「ノド」から小さく、かすかに、肉声の「あ」のような声が出たのです。

その時、指導員、教室にいた同僚が、教室も割れんばかりの拍手で激励をしてくれました。私の「第二の声」の一声と、再出発の瞬間でもあったのです。

うれしくて、胸が熱くなり、感激の涙がにじんできました。

 以降、毎日来る日も、来る日も、家の中でも、外でも、散歩路でも、「あ、あ、あ」です。

自宅の裏山を廻る約3キロ程の沢づたいの小路があり、人通りはほとんどない。私はその小路を散歩することを日課にしました。

沢の奥まった所で、体操をし、次に発声訓練です。ところが或る日、私の最大の敵が現われたのです。それは、一羽の”カラス”です。

私が蚊の鳴くような、小さい声で「あ」の発声をすると、カラスが「かぁ〜かぁ〜」と鳴く、また私が「あ」と言うと「かぁ〜かぁ〜」と鳴く。

カラスに馬鹿にされているような気がし、カァッとなり、石を片手にカラスに一撃するが、カラスは枝から枝へ”びょん”と移るだけで、飛び去ろうとはしません。

又、翌日行くと、どこからとなく現われ、「あ」と言うと「かぁ〜」です。石を投げつけるが、飛び去ろうとしない。

毎日のことになり、私は、とうとうカラスを迫い払うことが出来ず、観念し、カラスを発声の指導者と位置付けをしたのです。

 その日から、カラスに負けずと「あ、あ、あ」と猛練習です。
カラスも又応えるかのょうに、「かぁ〜かぁ〜」・カラスに負けずとやりすぎて、気管孔から血がにじんできて、びっくりしたこともありました。

特訓の甲斐あって、「あ、い、う、え、お」そして、1から10まで数えられるようになり、2力月ほどが過ぎ六月にはもう「お早よう、こんにちは、ありがとう」そして、多少の会話が出来るようになりました。更に、猛練習を続けたのです。

 或る日、ふと気が付くと、毎日付き合ってきたカラスの姿が見えないのです。おそらくカラスは、私の発声の上達を見届け安心したのでしょう。

そして、七月には、不可能と思っていた社会復帰が現実のものとなったのです。カラスにちょっと感謝しています。

 職場に復帰してみると、周りは全て健常者です。ある程度会話が出来るようになったとしても、歴然とハンデがつき現実の厳しさをまざまざと味わうこととなりました。

私の声が目の前でも届かないのです・…・・。会話中に何度も聞き返され汗びっしょりになり繰り返すのです。

また、電話が鳴ると「ぎくっ」とする、「落ち着け…」 と自分に言い聴かせ大きく深呼吸し、受話器を取る。どうにか事なきをえるが、手には汗びっしょりです。

 言葉を聞き返されたり、電話が鳴ったからと言って、ビクつく様ではまだまだ努力が足りないのです。

言棄の語尾をはっきりさせないといけない、毎日が言葉の発声との闘いです。

 そして、十月に北鈴会主催の「声の祭典」が開催され、初級、中級、上級とあり、私は、はからずも上級に挑戦し、見事優勝を手にする事が出来たのです。毎日猛特訓を続け、七年になりました。

 ようやく今日、このように発声を出来るようになりました。この「食道発声」は、個人差があり、何年も努力を積み重ねなければなりません。

私は「第二の声」を取り戻し、生活も充実し、新たに多くの障害者の方々ともお会いすることが出来、弱い者の立場も少し理解することができました。

 私たち、障害者は「力」を合わせ、社会の一員としての存在価値を高めることが大切だと思います。振り返ってみると、手術のとき、医師、看護婦さんをはじめ、家族、友人同僚に励まされ、「第二の声」も習得し、社会復帰が出来たことは、多くの皆さんに心より感謝しています。

 声を失ったことにより、人の暖かさ、思いやりが、いま一度骨身にしみる思いです。

平成七年退職を機会に、北鈴会発声教室で発声訓練のお手伝いをさせていただいていますが、それだけでなくもっともっと、幅広くポランティア活動に努力を続けたいと思っています。

 最後に、行政にお願いです。私たち障書者を取り巻く情勢はきわめて厳しいものがありますが、障害者同志が一同にかえしてリハビリ訓練や、技術の錬磨、そして工芸美術などが学べる総合福祉センター施設の早急なる建設を切望致します。

 ご静聴心より感謝し、おわります。ありがとうございました。