希望を持つ勇気のない人は闘う勇気もない人だ
(S.Sさん:平成10年神奈川銀鈴会発声競技会優勝;神奈川銀鈴会会報25号より)

 私が声を失ってから、2年6カ月が過ぎました。第二の声を求めて、銀鈴会に入会させて頂き、東京と神奈川の教室の両方を休むことなく三島市から通って来ました。

 教室では、同じ苦しみを持ち一緒に勉強している大勢の仲間と出会い、それまでは自分だけが声を失った不幸な女だと思っていたものですから、同じ立場でいろいろとご指導して下さる先生方にも先輩としても心強く、教室にいるだけで、不思議と安らぎを覚えたものです。

でも発声勉強の方は少しも進歩がなく後から入会された方々が上手に会話できる様になられているのに、どうして私だけが空振りなのだろうと、自分自身に腹が立ち教室へ向かう足取りも重く、朝、起きても今日も無駄になるかも知れないけれど、行ってみようと思う気持ちだけで、両方の教室に通っているように思いました。

そんな時にテレビでこんな言葉が私の耳に入ってきました。
それは、「希望を持つ勇気のない人は闘う勇気もない人だ」この言葉こそ半ばあきらめかけていたそのときの私の気持ちを奮い立たせてくれた言葉と感銘を受けました。

 全然前に進めない自分と闘ってみようと思いました。
「自分が自分にならないで誰が自分になる」と相田みつおの言葉を思い出しました。いつかはきっと私にもみんなと同じように発声が出来るのだと言う希望の灯りを暗闇の中から自分自身で探してみようと思いました。

それまでは毎日体調もすぐれなく、ぐたぐたしていた体も、そう思ってから体も心も元気になって行くような自分を感じました。

 それから毎日、私の食道発声奮戦記としてその日1日の声が出てもでなくとも日記に記し、そして反省したり昨日より今日、明日と一歩ずつ上を向いて階段を上るように踏みしめていました。その頃入会して8カ月がたっていました。

不思議にその頃から会話ができるようになってきました。

 世の中は、悪いことばかりでもなく、私の手術で1度はあきらめていた新しいホテルから美容室入店の依頼が舞い込んできました。

私の40年の美容生活でこの上もない明るいニュースでした。手術の時はもうできないと思っていた私ですがまたまた懲りもせず、復帰して現場に戻りたいと云う気持ちが一杯になりました。それからは、先生方の教えも少しでも吸収しようと毎日が真剣でした。

戦いでした。
そして一層と発声勉強に力が入り中級へも進級出来ました。
あのときあきらめないでよかったとしみじみ思いました。私の希望の灯りがやっと少しずつ照り輝いてみえました。

 念願の新しい美容室もオープンしまして、順調に船出しています。人生の長い航海の中で嵐がきて、難破して壊れることがあっても、また起きあがり建て直して新しい船出もあることを、この度の発声競技会に出場させていただいて懐かしく思いました。

順位など最初から考えず、ありのままの自分でそして出場することによって多少の緊張感もともするとマンネリになっている自分に刺激を与えてくれました。

 まだこれから一生涯。
私にとりまして食道発声の勉強は、続けていかなければならない道程ですが、あせらず、くじけずに無理をせずに自分らしく生きていきたいと思います。

 まだまだ未熟な私が優勝をさせていただいた事は、途中でくじけそうになった時もあきらめずに頑張った事への神様がご褒美を下さったのだと素直に喜んで、自分への励みとして精進して参りたいと思います。