明日に向かって
(T.Tさん:平成10年「声の祭典」チャンピョン;銀鈴会会報45号より)


 朝5時起床、昨夜はいつもより2時間ばかり早寝したので気分は爽快だ。
庭にみかんの木近くに1匹の紋白蝶が楽しそうに舞っていた。

今日は何か良いことがありそうな予感がする。おまけに朝食前のお茶のは茶柱まで立っていた。

しかし会場に到着し自分の順番が近づくにつれ、期待は次第に不安に変わっていった。過去の記憶がよみがえってくる。

平成6年3位、7年3位、9年2位、順番から行けば今年も2位だろうか、または入賞できないかも知れない。

不安は増すばかりだ。いよいよ自分の番だ。幸い例年よりあがらずにスピーチを終えることが出来た。

これで入賞出来なければ仕方がない。後は結果を待つのみだ・「1位。土屋さん」以外に落ち着いた気分であった。

もし優勝でもしたら大感激のあまり目の前が真っ白になるのではと思ったりしたが、わりと冷静に銀鈴会の仲間や先生方、お世話になった方々と浮かんでは消えた。「おめでとう」と祝福の声をかけられ面映ゆい。

帰宅後、常日頃苦労をかけっぱなしの女房に優勝できたよ、と告げた途端、じわっとあつい喜びが身体中からこみ上げてきた。

平成10年5月23日、私にとって人生最良の記念すべき日は終わった。
 私が銀鈴会に入会したのは平成5年のお正月のことでした。いまでもその日の出来事をはっきりと覚えています。

喉摘手術を受け、悲願のどん底を彷徨っていた私を励ましながら、一条の救いの光を与えて下さいました。

それからの数年は必死に発声訓練に取り組みました。
その間の努力は、今振り返ってみて、有森選手の言葉ではありませんが「自分を褒めてやりたい」との思いでした。

 入会してから2カ月で初級、中級、上級へとすすみ1年後の「スピーチコンテスト」では3位に入賞をいただきました。

その当時の私は伊豆下田駅前で食堂を経営する料理人でしたが、発声練習の傍ら味覚、臭覚の覚醒訓練にも専念し調理人としても支障のない程までに上達しました。ところが人生が何があるか分かりません。

 その後不運にも交通事事故に遭い肋骨6本骨折、頭蓋骨陥没、内臓破裂、再起不能かと思われる大事故でした。

一時は発声もできぬ事故後遺症に悩まされる日々に立ち向かうリハビリの毎日でした。
幸いなことに徐々に快方に向かい平成7年4月には「声友クラブ」に入会し仲間内でカラオケなどで楽しめるまでになりました。

振り返ってみますと銀鈴会には、言葉で言い尽くせぬ程のお世話になり、心から深く感謝している次第です。

これまでご指導下された諸先生、諸先輩の皆様、本当にありがとうございました。
私は16年前母を癌で亡くし続いて父、兄も癌で奪われました。幸運にも私は癌に見舞われながらも手術後5年経過、再発の兆しもなく元気に生活しています。

さらにこの度はスピーチコンテスト優勝のご褒美まで戴きました。これを機にこれからは銀鈴会の皆様方と力を合わせ、社会へ貢献できますよう一歩一歩前進していきたいと思っています。

輝かしい明日に向かって。