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 どうぞ よろしく
初級 鈴木 由美子

 「声帯を取りまーす」の声が今も耳に残ってます。
その大学病院では部分麻酔から全身麻酔へと移行して行ったのです。 術後 声の出ない事を確認し、当たり前の事ながら、そうなんだと思ったものでした。
 話は変わりますが、私の母は四九歳で半身不随になり九〇歳まで生きました。 リハビリ等で回復し、五〇代、六〇代は旅行等楽しんでいました。
それに趣味多く、オペラ、短歌、片手に上手にお茶も立てていました。私が本格的に看る様になったのは、母が七〇歳を過ぎてからでしょうか。
  母のお陰で車の免許も取ったのです。とは言えそれを機会に私自身もドライブにあちこちでかける事が出来ました。  今思うとその母は随分色々と思い出を残してくれました。いえ大げさにいえば文化遺産と言っても好いかも知れません。
近所の方たちとの交流、はたまた昔のボーイフレンド(小学時代の)等訪ねてきたり、旅行したりと前向きに生きていました。
始めは介護保険もなく市の高齢福祉課にお百度踏んで色々相談にのって貰ったり、勉強もしました。まさか私自身が障害者手帳を貰うとは思っていませんでしたが、 そんな母のお陰で、くよくよしても始まらない、少しでも楽しむ事を教わった様な気がします。

 昨年六月退院して病院から、知人の方から神奈川(横浜)銀鈴会を紹介して戴き現在に至ってます。 口から先に生まれてきたような私には食道発声しかないと心に決めて始めた物の、やはり大変です。先ずは健康管理です。
入会してすぐに夏風邪で一週間熱を出したり、今年二月には急性胃腸炎になったり自分の不注意を深く反省しています。 

平成二二年、二三年、二四年の会報を戴き、大変参考にして居ります。 特に二十四年の会報では何回も頁をめくり、読み返したものでした。 そして横浜駅の喧騒から離れて武蔵野を思わせるような公園の横にリハビリの教室、福祉会館が在るのです。 まだまだ『声出せども言葉にならず夏の空』の心境ですが、会長、指導員、先輩の方々の御指導に感謝しながら前に少しだけでも進んでいかなくてはと思って居ります。

また、学生時代の友人、絵の仲間 からそして家族からも、【少し言葉が出てきたね】との励ましにも感謝している次第です。 
ヘンなおばさんですが、どうぞよろしくお願い致します。


神奈川銀鈴会の会報第40号(平成25年)から掲載しました